みちのく会1年をふりかえり

みちのく会結成から一年が経過していたと気が付いた。

そう思うと、色んな思い出や思いが一気に込み上げてきた。

気が付いてから数時間経った今もまだ頭が思いに占領されている。

みちのく会とは東日本大震災直後に札幌にも沢山の方が避難され始めたことを、偶然いち早く察知しサポートする為にあったかい道が緊急発足し、あったかい道が避難者サポート初期の段階で「避難者が自立する為には当事者のコミュニティが必要であり、至急立ち上げるべき」と考え、当時避難し当社で新入社員として勤務していた本間現会長と前日下会長を中心として発足された。

今では1000人を超える避難者が、自ら組織を運営しているが、我ながらこの一年よくここまで走ったと思う。

本間会長にいたっては、私以上にだ。改めて敬意を表したい。

彼女は一人でも多くの方の為にと思う一心で、震災後たったの一日しか休まず、毎日2~4時間程度の睡眠で今日まで、掃除から相談、そして講演、行政や政治家との話し合い等、朝から朝まで走り続けてきた。

現実は涙を流すほど理不尽な事も日常茶飯事だ。

一緒に命をかけるくらいの覚悟で色々な障害を乗り越えてきた。

いつも数年先や数十年先を見つめて、芯がぶれないように互いに励まし合い走ってきた。

一年経ち改めて彼女の偉大さに驚く。

一緒に避難してきた旦那さんと三人の子供達にも負担は大きかったろう。

本当に本間ファミリーにも感動させされる。

最近長男がアルペンスキーの世界大会で優勝したのも、そんな母と支えてきた父の背中をみてなのかも知れない。

この彼女の功績により育った、みちのく会は解析すればするほど優れたシステムを持つ。

深く研究すると、これが今後の日本のキーになるのではないかと理解できるだろうと思う。

 

 

会の話と本間快調の話はまた今度ゆっくり語りたいのでこの辺にしておき、私自身の話をしたい。

この一年、みちのく会と捨て身で寄り添い、慣れないことで表現しにくいが、感謝の言葉や涙をいただくことも多いし、外部から賞賛されることも多い。

しかししかし、私には当たり前のことを一生懸命やっただけという感覚しかない。

おごりとかそういう次元ではなく、当たり前と言う感覚が今最も大事だと思う。

支援することに対し、「私は忙しいからできないから頑張ってほしい。あなたのような人がやるべき。素晴らしい」なんて言われても、やらない理由、やれる事を探さないだけの人に褒められる筋合いはないと思う。

そういう気持ちの集大成が現代日本の病なのだから。

そして支援と言う言葉すら最近はばかる。

この一年、みちのく会の方々と一緒に涙を流し、背中を押され、想像も出来ないほど自分自信が学べることができた。

学べると言うか荒修業できたと言う方が、適切だろう。

そして、どれほど多くの親友を作れたことか。

実は私も何度も活動を辞めようと思ったことがあった。

文章で書くにはあまりにも長くなるので今回は省略するが、

本当に色々なことが毎日のようにあった。

そんな時に暖かく私を包んでくれたのは、避難者のみんなだった。

この一年を通し私は人間になれた気がする。

銭や金や現代風の価値観から、みんなに本質を教えてもらった気がする。

世の中がスローガンにする陳腐な言葉になっている「絆」を薄っぺらで聞きたくないという当事者が多く、私もそう思っていたが、今日振り返り私自身が知らず知らず絆を作ってきたのかもしれない。

机上の論理で話している世の中の大半の人には分かるまい。

「自分のできる事をしましょう」なんて言っているうちは絶対に分からないであろう。

物で支援することが良い事ではない、イベントを提供することが支援ではない、

これから必要になる事は、まず安楽的に考えるのではなく

原発事故を教訓に今後どういう社会を作ろうかと考えることで、

今ある現実から目を背けない、気力であり

国民総意で解決策を数千年の一部として考え、ポジティブに全力で模索していくことが

義務であろうと思う。

残念ながら銭や金の卑しい時代は終焉の扉を開いた、目先の時代も終わりをはじめた。

北海道に来たみちのく会の皆さんの一人一人と話すうちに私はそういうことを 気付けた。

私の考えは先を行き過ぎ、そして古風すぎで、理解に苦しむことかもしれないが

私が避難者の皆さんから一番学んだのは、そういう新しい価値観である。

 

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